前記事の高橋一生と宗教の部分だけ抜粋

ここまで辿り着くのにいろんな界隈に首突っ込んできたけど今は時間があるなら高橋一生漁ろうかな、っていうふうになりつつある。高橋一生は考えれば考えるほど本当の形がわかんないし、「『完璧』に見せてるけど実は『完璧』じゃないんですよ僕」っていうことを『完璧』に作り込んでるからもうその3段階に建て上げた「完璧」の様々なところに宇宙が隠れてるっていうか、色で言えば黒で、その黒を考えるのが楽しくて、黒も白だと思って見れば白に見えるし、その原理を巧みに活用してるのが高橋一生だと思うからもうどうトリックかけてるのかなって考えるのが楽しい。色に惑わされずに形を見つけようとして考察ってするけど、形はいつまでたっても見つけられない気がする。高橋一生という概念そのものを宗教と考えるなら形が見つけられたその境地が悟りで、でも悟りを開くことはほぼ不可能に近くて、その悟りにどこまで近づけるかが肝心なような気がしてる。宗教をどこにでも見つける考え方は日本人的かもしれないけど、信仰対象っていうと仰々しいしそれこそ対象の悪いところを一切見ない揶揄的に使われる悪い意味の言葉の方の「信者」みたいで嫌だけど、でも敬って「知りたい」と思わせてくれる対象は宗教のように考えていいんじゃないかなって思う、そんな大層な話にしちゃだめだけどでも日本人古来からの宗教ってそこまで大層な話じゃないもっとこじんまりとした個人個人の日々のありがとうの形だし、ある1つの神様に囚われない日本人らしい愛で方なんじゃないかなーと思って満足している。