人との対し方って難しいですよね〜

人間関係において無理する無理しないの度合いって人それぞれだと思うんですけど、わたしは「あの人怒ってるな」「あの人機嫌悪いのかな」って人に思われることが嫌だし、それによって誰かの機嫌が悪くなったり場のムードが悪くなるのがとっても嫌なので少々のことでは腹を立てないようにしてきたつもりです。言いたいことがあっても言わない、というが美徳だと心の底から思っています。もちろん傷つくことや辛いことがあって言い返したくなることはあるけど、それでグッとこらえて、自分偉いねよしよし、って少し自分を褒めてあげることで心の均衡を保っています、いっつも。

辛くてもなんとか笑って、たまにイラっとしても「なんでそんなこというの〜〜〜っ!」って冗談めかしてわたしが笑っていることで周りも笑ってくれるなら、嫌な思いをするのはわたしだけだしそれが1番全体としてのマイナスが少なくて済む、って思っていて。わたしはいつもそういう役回りだからマイナスを被るのは慣れているし、慣れていない人にマイナスが行くよりも慣れているわたしが吸収したほうが絶対いいし、って。

でも、そうやってピエロになることでみんな笑ってくれるけど、ピエロって泣いてるじゃないですか。無垢な気持ちで見ればピエロは笑っているように見えるし、笑っているピエロとしてピエロを見るのが普通だと思います。けれど「あ、泣いているな」と思ってピエロを見る人がどれほどいるか。それこそ政次の能面の原理だと思うけど、あの人泣いてるなと思って見れば泣いてるように見えるし、笑ってるなと思って見れば笑ってるように見える。見方次第でどうとでも取れると思うんです。でもピエロっていうのは面白おかしくやりすぎていて余計に涙が見えやすくなっているというか、割と顕著な方だと思うんです。その涙にどれだけの人が気づいてくれるのかな、と時々思う。涙の部分はなるたけ見せないように気づかれないようにしてるけどわたしは。「あの人泣いてるのかな」って思われて申し訳なくなられたりなんかしたらピエロやってる意味ないもん。

わたしも怒ることがあるけど、わたしがイラっとして怒ったせいで誰かがイラっとしたりすると元も子もないから極力怒らないようにしてる。ただどうしても怒っちゃうときもあって。能面だけじゃ耐えられなくて表情の外に滲み出てしまったときは、怒っていることがバレてしまうから、もうじゃあこれ以上隠しても仕方ないと思って怒ってしまうんだけど。普段怒らないわたしがいきなり怒ったからって友達泣かしちゃったこともあった。だから怒るのやだなって余計思ったけど。


今日、わたしが普段いろんなあれこれを笑って流して済ましてるっていうことを逆に利用されてしまった出来事があってすごくカチンと来てしまって。わたしがいない間に、わたしが笑い者になる手はずが勝手に整えられていて「〇〇なら良いって言いそうだったからさ」って言われて。自ら道化師になって笑い者になることは厭わないけど、人から強要されて辱められるのはちょっと鼻持ちならなくて。母に言ったら「おかしいことはおかしいって言いなよ」と言われたんだけど、正しいとか正しくないってどうとでも曲がるし、人それぞれにとっての正しい正しくないはあるし、1人の正しいを押し付けがましく主張するとそれこそ和を乱すわけで、みんなの正しいがきっとその場においての正しいだから、きっとわたしが主張を張っても正しくないになることは目に見えていて。

あ〜〜〜1人でみんながやりたくないことを被るんだよな〜〜〜〜あ〜〜〜って。いっつもそう。だから全然慣れてるけれど、やっぱりこんなのやだな〜って偶に思ったりもしてしまう。ほんとうに偶に。だから本当に政次の生き方を肯定できたことに意味があって、政次みたいな生き方は見ていて痛々しいけれど本人にとっては満足で、そしてその生き方で誰かを守れるしなにより綺麗だし。つくづく政次にありがとうを言いたくなります。知らず識らずのうちに政次に「いいんだよ」を言われていることが沢山ある気がする。

明日は皆既月食。月が全部見えなくなる瞬間がある。真っ暗になる。でも政次の指し示してくれたものを見失わないように明日も頑張ります。