めちゃくちゃ暗い話、楽しい気分の時に読んじゃダメなやつ

ネガティヴなブログばっかり続きますが。


わたしの小学生のときの話から始めると、前の街から今の街へ引っ越してきて右も左も分からないわたしに「友達になろう」と言ってくれたクラスメイトがいたんだけど、その子とっても力が強くてそれを誇示するのが好きな子で。

「10回叩いていいから10回頭叩かせて」ってすんごい言われて、でもそれに対して抵抗してもどうせ叩かれるのが分かってたから受け入れたり。わたしは力が弱いし人を叩いたことがなくて(引っ越してくる前の環境のおかげで暴力ってよくわからなかった)、でもわたしが叩けば叩くほどその子の力は強くなって行って。痛い、頭おかしくなりそう、って言っても「あんた成績いいんだしいいじゃん」って。そうだね。って返した。全然、そうだね、じゃないのにね。


そんなことが続くうち、わたしだけが辛くて周りがそれで辛くないならそれがいいじゃんっていう考えがいつのまにか自分の中に定着してしまっていて(前回のブログにも書いた)、でもある時サバサバした子に「それは偽善だよ」と言われて「えそんなこと言うのわたしこんな我慢してんのに頑張ってんのに」って抗おうとしたけどそういう気持ちを俯瞰した瞬間に「偽善だな」って気付いた。


引っ越してくる前の街は今からすれば少し特殊で、ちゃんくん付けが当たり前の世界で呼び捨てなんてあり得なかったし、それこそいじめだなんて学園ドラマか漫画だけの世界だと思っていたから余計にショックが大きかったというかね。こっちが普通なんだって思ったときにすごく生きるのしんどいなって思った。温かい中でしか過ごして来なかったから、ギスギスした中で生きる必然性を思うとやるせなくなった。

まあでもそういう経験があったからこそ豊かになってる部分は大いにあるんだけど。後からみると辛いわけわかんない厳しい経験があればあるほど、そのときは枷でしかないのにあとあと糧になるからまあいいんだけど。よくないけど。


1度名前をもじって悪口を言われたことがあって、それはわたしは自分の名前がっていうことも辛かったけど親を馬鹿にされてる気がしたのがきつくて。小学生だったわたしは引っ越すことになった境遇を何度も心の中で恨んだけど親には「学校楽しいよ」って言ってた、2人は優しいからきっと学校でのことを言うと「俺のせいだ私のせいだ」って抱え込むしと思って。でも名前のときは耐えきれなくなって言っちゃったから親もいっしょに泣いてくれて、心強くて、そのときにああわたし耐えなきゃいけないんだって思った。いつかその子達が省みてくれるとも思ってなかったしこの状況が続くことも分かってたけど、わたしが抗うと余計に面倒だとも思ったし我慢することでその人達が満足するだけでそれだけならいいし、わたしはこれで強くなってやるけどあなた達はこれから困ればいいやわたしには関係ない、そうやって我慢するクセがついた。


中学になっても「いじられキャラ」なんて言われて、でも必然的に弱い立場に放り込まれてザクザクザクザクぶっ刺されてふらふらになって毎日神経痩せ細らせてたのは覚えていて、口が悪い人たちはすぐ「しね」「きえろ」なんて汚すぎる言葉をすぐ言うけれどわたしには笑うと言う手段しかなくて、でも空虚な笑いになってしまうと「笑ってない」って思われてしまうし、自分の「辛い」をどうにかしてでも隠していたくて、「いかにも楽しそうに笑う」という特技が出来てしまった。まあこれはいつだって役立つからある意味これも糧なんだけど。だってだって「しね」が愛情表現だなんて普通信じれますか…。「気にするな」って笑いながら言われるけど、「しね」と言われて気にしない人とは感覚のズレが確実にあるなあと思っている。関西人だから、関西人じゃないから、の問題ではないのでは、と。

誰もわたしの振る舞いを辛そうだなんて思わなくていい思って欲しくない。ただ前回も書いたけど誰か1人くらいは、もしかしたら辛いのかもという憶測だけ立てておいてほしい。笑ってるように見せてるんだから笑ってるんだなって見ている側は思う、それは提供する側も受容する側も望むところだしそれが結着点であるはずなんだけど、でも絶対に絶対に「泣いてるかも」と思ったらそれはどこかにこぼれているはずで、そのこぼれたものを拾ってくれる人がいてもいいじゃんと思う。わたしに言ってくれなくてもいいけど、ただわたしが泣きながら笑ってることに意味があるんだ、正しいんだ、わたしの中のこの泣きもこの笑いも嘘じゃないんだと誰かが分かっていてほしい、そう思うからこうやってここにこんなブログも書くんだけどね。

また続き書きます。たぶん。